父親が怖い、話せない場合の考え方【モラハラではない場合も】

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父親が怖いそして、話せない方が最近増えてきております。実際に父親の考え方もあったり、モラハラと捉えられることもあります。実際にモラハラであるような場合もありますが、それはともかくとして、どういった考え方をすればいいのか、どう対処していけばいいのかということについて紹介してみたいと思います。場合によっては、愛の1つとして行っていることもあります。筆者も父親が怖いと思っていたことはあります。現に、大人になった今相手にするのも怖いでしょう。だからといって、話せないわけでもありません。

前もって書いておきます。あなたの年齢が若ければ若いほど、この文章は理解しにくいと思います。

父親が怖いあなたへ

父親が怖いあなたへ

父親が怖い理由、そして話せない子供

父親が怖いという方は、恐らく全国ほとんど共通だと思います。では、実際に父親はなぜ怖いのでしょうか。もちろんこの考え方が全員の父親にあるわけではありません。それに筆者は男です。これはお読みの方が女性であっても、当てはまる話です。そもそもですが、父親が怖いというのは、わざと演じている方もいます。実際に怒ると怒鳴ったり、手のつけようのないくらいにブチ切れる父親は多いです。それはなぜなのかというと、男の考え方の1つでもありますが、社会に出た時に通用するようにしております。子供としては、もう少しおとなしく叱ってほしいと思うかもしれません。それも、ごもっともな話です。しかしながら、世の中に出ればモラハラ、パワハラをするような方は、父親以外に多くいます。実際にそれで、傷ついてきた大人もいるでしょう。子供のうちに、そういったことに耐性をつけておこうと考える父親もいます。実際に筆者の父親もそれに該当しており、大人になった時にはかなり優しくなったので、その教育方針は本当だったんだなと思いました。

実際にですが、世の中に出て、筆者も上司に叱られることはありました。それこそ、筆者が悪い場合もありますが、それにしても怒り方が酷い人もいます。捉え方によっては、パワハラ、モラハラです。しかしながら、どれだけそういった上司が目の前でぶち切れて、物に当たろうが、胸倉をつかんでこようが、現時点で筆者は怖くはありません。それに、そういった上司に動じてしまって、本格的に心を病んで退職する方もいます。どれだけあなたの持論が現時点で正しかろうか、世の中はそれで統一されているわけではありません。モラハラやパワハラはいけないと思っていても、現実としてそれをやってしまう方は男女問わず多くいます。

この話が事実かどうかの話はさておき、実際に単純に頭ごなしに怒る父親であったとしてもですが、そういった人を相手にしていく練習とも考えましょう。怖くて自分の意見が話せないなんてこともあるかもしれません。特に子供であれば、父親の言うことは絶対的でもありますが、その中でもしっかりと自分の思っていることを話す練習もしていきましょう。これの何が大事なのか、怒鳴らずにまともに話し合えばいいじゃないかと思われるかもしれません。もちろん、それは間違っておりませんが、そのあなたの持論が世の中すべての人間に通用するわけではありません。

例えばですが、あなたが街を歩いて怖い人が目の前に来て、「おいおい、ちょっとええか?」なんて話しかけても、そういったことに慣れていないと、まず怖がって何も話せないです。筆者は実際、そういった怖い父親のことは大嫌いでしたが、大人になってやっとこの必要性が分かりました。とはいえ、やりすぎな部分もあったと思いましたが、それは考えあったのことだと大人になって、やっとわかったのです。

父親が怖い場合でも、モラハラだったりそれで嫌いになることも仕方ない

色々と父親側の持論を書いてきましたが、それでモラハラと感じたり、嫌いになるのも仕方がありません。演じている場合もありますし、それで嫌われても、愛する息子や娘がしっかりと世の中で立派に生きていく方が何よりも大事です。あなたに、そういった意図を伝えることもなく、将来的に恨みをもたれるほど嫌われるかもしれません。ただ、父親サイドはそれで結構と考えていることもあります。恐らく、それは実際に言われないこともあるかもしれません。

ただ、そんな中でも筆者は唯一、これはやってはいけないという父親のやり方もあります。ここまで割り切れて子供が考えることが出来れば良いのですが、そうではない場合もあります。本当に、父親のパワハラやモラハラの度が過ぎて、子供が本格的に病んでしまっていることもあります。それは、父親が唯一しっかりと認識すべきことでしょう。筆者も実際に父親の年齢になり、子供がおります。そして、怖い部分は演じている部分もあります。そして、その過程で嫌いと思われるかもしれませんが、息子や娘がそれでも社会に出て立派に生きていくことが大事です。何より、そんな大事な息子や娘が、他の何も考えないような心無い人間によって、病んだり、自ら消えることを選ぶほうが、父親としてはかなり悔しいのです。だからこそ、嫌いと思ってもらっても問題ありません。大人どころか、子供でもいじめの被害にあうこともあるかもしれません。もし、あなたが目の前で何かをしてこようとする同級生も、そんな父親ほどは怖くないかもしれません。

筆者の父親の場合は、やはり昭和に生きた人間でもあります。今大人になって、考えてやっと分かる部分もあります。もちろん、一時期本気で○したいくらいは、嫌いでした。許せない、DVをする父親だと思っておりました。現に21歳くらいまでは思っておりました。ただ、そのせいにして、生きるのも辛いのです。それがあったから、何か出来ないというのも大人になれば言い訳になってしまいます。もちろん、本格的に病んでいる方も、そういった恨みを持っていたり、大人になってもっと曲解することもあるかもしれません。そういった気持ちも分からないわけではありません。筆者もそういった人間でしたので、むしろ痛いほど分かります。

ただ、それら全部をひっくるめて今は許しました。やりすぎな父親ではありましたが、それもまた愛の1つと自分の中で決着をつけました。あなたの年齢が中学生、高校生であれば「は?何いってんの?」と思うかもしれません。それもまた、筆者も通ってきた過程であるのでわかります。同じくその当時の筆者に今の筆者が説明したところで、聞く耳は持たないです。

ただ、そんな怖い父親の克服も含めて、今を生きてみてください。


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