体育祭が憂鬱な方への大人から対処方法を提案!

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体育祭がこれから始まるシーズンですが、その中でも憂鬱な方が居るかもしれません。また、体育祭が憂鬱といっても、理由はいくつかあります。一人ぼっちなのか、競技で勝てることが出来るのか心配になっている方、単純に体育祭そのものが嫌いでたまらないというような、筆者と同じ思考の方もいるかもしれません。こんかいはその3パターンの方への大人からできる対処方法を紹介してみたいと思います。本当に憂鬱な方は、思い出しただけで気分が盛り下がるかもしれません。

ロクでもない大人からのアドバイスをお楽しみください。

体育祭が憂鬱なあなたへ

体育祭が憂鬱なあなたへ

体育祭が憂鬱な方への大人からできる対処方法を紹介

■競技で勝てるか心配
まず、体育祭では運動音痴で競技で勝てるかどうか心配、クラスからもそれほど期待はされていないというようなこともあるかもしれません。しかしながら、体育祭の目的で学生の9割くらいは勘違いしているのではないだろうかということがあります。勝ち負けの判定は体育祭ではさほど必要ではないのです。負けたクラスに重いペナルティが体育教師から課されて、憂鬱になる方がさらに続出するということまではないと思います。体育祭での重要なことは、運動不足を解消できること、精神の教育です。だからこそ、意味も感じないような行進を1日中やらせる学校が多いのです。そもそも、それが体育祭の指導でもありますので、クレームを入れられたところで改善のしようがありません。また、あなたが体育祭の練習などにも参加している時点で、実は他国に向けたアピールにもなるのです。個人レベルがそうなのかと思われるかもしれませんが、実際に国レベルで考えると、子供のうちから統率が取れているということは、いざ他の国とトラブルになったときは日本は怖いよというアピールにもなります。そういった意味合いからも行われることがあります。事実、体育祭での競技に勝つことが重要であれば、それぞれの競技を練習させられるはずです。そこに勝ち負けなど重要ではありません。そして、勝ち負けを本気で勘違いしている方は、そもそもの体育祭の本質をわかっていないのです。そういった、指導と一致しない、生徒の現状を見ると、運動が苦手な方はさらに憂鬱になってしまうのかもしれません。

すでに参加している時点で、体育祭の考えとしてはもう勝ったようなものです。あのつらい練習をみんな耐えてきたのです。あなたが実際に体育祭で良い点数が取れなくとも、気にする必要はありません。「あいつのせいで・・・」と責任をなすりつけられることもあり、それで落ち込むこともあるかもしれません。しかしながら、そういった人は別の面でも人に責任を擦り付けます。勉強ができないのは教師のせい、大人になっても仕事ができないのは上司のせいなど、責任を人になすりつけながらメンタルを保っている学生ながらの悲しい人間です。そういった人にあなたの心が左右されて憂鬱になっているのであれば、もったいない話です。

■一人ぼっちで体育祭はつまらない
体育祭というと、一人ぼっちで憂鬱でつまらない方も居るかもしれません。実際に、スマホもいじることもできなかったり、寝ることも出来ないのです。特に一人であれば、体育祭はつまらないことが多いです。そんな学生のあなたに、大人になった場合の未来を紹介しましょう。今、学生たちは友達が多い方はとても多いです。一般的に「リア充」なんて呼ばれることもあるかもしれません。しかしながら、ぼっちであったとしても気にする必要はありません。これから、大学や仕事などなど学生にはさまざまな未来があります。それを考えるだけでも、憂鬱が希望に変わります。そして、ぼっちの話題にもどりますが、体育祭で一見楽しそうに仲間と遊んでいる方でも、意外と薄っぺらい関係だったりします。大人になっても一緒に遊んだり連絡する方というのは、かなり少なくなってきます。むしろ、学生時代に薄いうわべだけの関係ですごしていた方は、大人になってぼっちになって憂鬱なんてこともあります。もし、あなたに一人だけ付き合いの深い友達が居るならば、恋人と同じくらいは大事にしてください。筆者は学生のころは、体育祭はぼっちでした。友人は別の学校に居ました。付き合いそのものは深く、大事にしていたので、大人になった今も深い付き合いができております。大人になったら、本当に友達ゼロになる当時のリア充も少なくありません。これで、体育祭に参加する前の憂鬱な思考も少しは解消されたのではないでしょうか。

そもそも、ぼっちはまずいことでも、辛いことでもありません。世界的に有名な成功者を見てみましょう。あの手の方達は常にぼっちです。ぼっちの方は、そもそも一人が好きでやっていることもあります。そうではないならば性格を変える必要がありますが、ぼっちは周りが言うほどつらくはないと思われているのであれば、そのままでも良いのです。

■体育祭そのものが嫌いでたまらない
筆者も体育祭そのものが嫌いでした。そして、もう強制という姿勢が憂鬱なのです。筆者は、6月などではなく9月に体育祭が行われる学校で、夏休みから憂鬱すぎました。結局のところ、体育祭はどれだけ憂鬱な気分になったところでやってくるのです。中学、高校あたりは本当に憂鬱でした。中学校は受験のことを思って、強制的にでも意味があるので参加していましたが、高校の体育祭のときはすでに進学先も決まっており、受験だけが目的であった筆者は体育祭どころか、学校生活そのものに意味を感じませんでした。そこで、次に書くことを提案してみたいと思います。3年間のうち、1回も休んだことがない方は、1回だけだと思って今回は楽な手段に出てみましょう。

体育祭が憂鬱なら休んでもいいと思う

本気で体育祭が憂鬱な方の気持ちは分かります。だからこそ、体育祭が憂鬱ならば休んでも良いと思います。ただし、卒業が出来る程度だったり3年間のうちの1回くらいの頻度にしておきましょう。筆者は中学生のときは3年間すべて参加しましたが、高校生の思いであふれる心に残る3年生の体育祭の時には遠慮なく休んでやりました。友達もさほど多いほうではなく、上辺だけのお付き合いの方も多かったです。会えば「おはよう」くらいの会話です。そこに意味はなく、大人になっても、関わることもありません。最初から無駄な関係でもあります。そういった中、間違いなく体育祭より、ソシャゲやMMOやFPSをやっているほうがまだ100倍くらいは楽しいかもしれません。だからこそ、1回程度ならば休んでも良いです。それで大人になった今も深く後悔しているどころか、そうして良かったなと思います。ロクでもない大人からの対処方法の紹介だと思ったかもしれませんが、間違っているわけでもないと思います。


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