143便燃料切れ事故、その真相と原因は?

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143便エアカナダとは、有名な事故を起こした旅行用の飛行機のことです。これは度々話題にされるもので、その真相と原因などについて書きたいと思います。ちなみにこの事故が起こった日は1983年の7月23日で場所はカナダのマトニバ州、ギムリ空軍基地です。幸いにも死者は0名と最悪の事態を逃れることは出来たようです。

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143便燃料切れ事故の原因は?

まず、この旅客機の使用機材はボーイング767に該当し、アメリカのボーイング社によって作られている旅客機です。自動着陸などのハイテクの部類に入る飛行機でもあります。1970年ごろからイタリアとアエリタリアの共同研究として、低騒音と短距離でイカに離陸できるかなどをテーマにして開発が行われたそうです。開発途中の1973年に石油危機が起こってしまい、開発計画は変更せざるを得なくなり、エコな発想が求められるようになりました。さらに、このせいでボーイング社は経営不振に陥り、日本に助けを求めることにしました。日本があれだこれだと意思決定を渋っているうちに石油危機の状況も収束に向かっており、途中で知恵を提供したのだから日本からもさらなる支援をするべきだということで現状は日本は15%の負担を強いられており、下請け会社になってしまったという皮肉な過去もあります。

話は戻り、エアカナダ143便の機長はボブ・ピアソンで、副操縦士はマウリス・クィンタル、客室乗務員は6人で、乗客は61名の状況です。事故自体の原因は、燃料切れにありました。当時は燃料搭載情報システムを使って給油状況を知る方法が取られており、パイロットにも分かりやすく表示されていました。ところが、その事件当日はシステム自体に異常があり、半田付けのミスによるものだと後に判明しました。後にパイロットらの直接的な計測を求められました。

143便燃料切れ事故の真相・画像について

この事故の真相は、まさにカナダ・モントリオールからカナダ・エドモントンへ向かう際にあります。こちらの給油量の計算過程でミスが起こりました。ヤード・ポンド法と呼ばれる計算方法でこれまでに行っていました。この方法自体は長さをヤード、質量をポンドとしているもので日本では紛らわしいので1921年に禁止されたほどです。こちらからメートル法と呼ばれる分かりやすい方法に変更される途中でした。必要な燃料を22,300kgと算出するまでは成功していましたが、モントリオールでの燃料の残り7,682kgを重さに換算する時にリットルとキログラムの比率ではなく、リットルトポンドによって計算が行われてしまいました。結果的に4,916kgと出てしまい、本当に必要な量は20,163kgが必要でした。

前述のようにシステムは壊れていたため、自動的に計算を行ってくれるものではなく、人為的なミスの元計算が行われていました。結果的にシステムの一部は動くと勘違いしてしまいました。この距離感では到底足りるものではなく、パイロットと給油要員も不思議に思いながら数回ほどの計算をしていました。さらに、オタワで改めて計算を行うとしましたが、そこでも計算ミスが起こってしまい、オタワを出発しました。オンタリオ州のレッドレークを飛行中にこの事故は起こりました。飛行機の警告装置が4回ほど作動しましたが、エンジンの左側のエンジン圧力に問題があるとされました。

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機長は燃料の計算ミスとも思っておらず、これをオフにすることに決定。それでも2回目の警告が間もなく発信されることになり、目的地外の空港に着陸することに決定しました。その数秒後にエンジンの左側がついに停止してしまい、右側のエンジンで着陸をすることを強いられました。

ついには聞いたことないような警告音が出てしまい、訓練でも想定されていませんでした。その直後、完全なる燃料切れが起こってしまいました。その時点での高度は8,500mでした。幸いなことに降下率の計測器や対気速度計、高度計、方位磁石は電力を使わずに動作することができたので、必要な情報は得られました。

パイロットはマニュアルを開きながら、燃料切れの状態で飛行させる方法を探しましたが、そのような方法は書いているはずが無く、得られた情報からも目的の空港に着陸することは不可能だと知りました。カナダ空軍のギムリー基地に着陸しようと提案しました。副操縦士のクィンタルは軍から離れてこの基地が民間航空になっていることを知らず、一部も閉鎖状態でレースが行われているほどの不活性ぶりでした。着陸途中に制御機能を失ってしまい、困難になりましたが、無事着陸することに成功しました。機体にダメージを与える形で、乗客は叩きつけられるような感じだったと述べているようです。